あの日から30年後の朝はどんよりとした雲におおわれていた。2024年5月1日。アイルトン・セナの死から30年。節目の日。そんな日を悼むかのように今日の天気は雨となっている。
まるで当時を知っているかのような口ぶりだが、自分は今月で28歳。悪夢の週末と言われたサンマリノGPから大体2年と2週間弱後に生まれたわ言わゆるセナを知らない世代である。
プロストとの確執に1991年や1993年に母国GPで見せた勝利、マンセルの連勝を止めた1992年のモナコGP、雨の中見せた異次元の速さのドニントン・パーク。そしてなにより赤白のマルボロカラーに塗装されたマクラーレン・ホンダ。そんな時代は当然見てきてはいない。
2007年からモータースポーツの魅力に取り憑かれた自分にとってマクラーレンと言えば銀色のマシンであり、今となってはオレンジ色のマシン。そしてホンダと言えば惨敗を喫した地球色の駄作マシン、そしてフェルスタッペンがドライブして栄光を掴んだレッドブル・ホンダ。こちらの印象の方が強い。
それでも。映像と記録から見るアイルトン・セナというドライバーは凄まじい。3度の世界王者というのはフェルスタッペン、ネルソン・ピケ、ジャッキー・スチュワート、ニキ・ラウダに並ぶ歴代6位タイ。4度の王者に輝いたアラン・プロスト、5度の王者に輝いたファン・マヌエル・ファンジオ、7度の王者に輝いたミハエル・シューマッハとルイス・ハミルトンがいるとはいえ、数多のドライバーが挑み1度も勝てないドライバーがいる中で3度の王者に輝いているのだからやはり超一流のドライバーと言ってよい。
そして恐ろしいのが予選のパフォーマンス。0.5秒2位に差をつけるなどもしょっちゅうあり、下手をすれば1秒2秒の大差をつけて見せていた。いかにセナが卓越した技術を持っていたかのひとつの証明とも言えるだろう。そもそもポールポジションの獲得率は40%を越え、これはルイス・ハミルトンやシューマッハですら超えられない数字でもある。
などとつらつら語りつつも、セナの凄さや魅力は数字に見えない、生で見てきた人じゃないと分からないものが多いのだと思う。それはその時代を生きた人にしか分からないもので、当時生まれてすらいない自分にとっては一生分からないものだと思う。最期はトップを走ったまま天に召されてしまったのだから、それだけでもある意味伝説のドライバーとも言えるかもしれない。
モータースポーツはセナの死以降、死亡事故は随分と減ったように思える。もちろん、デイル・アーンハートの死亡事故によって普及が進んだHANS、ジュール・ビアンキの事故をきっかけに搭載されるようになったヘイローなど、他の痛ましい事故と人々の努力によりモータースポーツはクラッシュをしてもある程度は安全と言えるスポーツに変わってきた。
それでも、だ。2019年にF2で起きたユベールの事故を受け、ハミルトンはこのように語った。
「スポーツイベントに行ったとして、最初はなんて素晴らしいイベントなんだ! と思ったとする。でも突然、楽しい週末が嫌な週末になってしまうんだ。ファンの何人かは、それが危険なスポーツであるという事実さえ考えていなかったかもしれない。ドライバーたちが、そんな事故を起こすことなどないと考えているんだ。そういう事故は、頻繁に起きるものではないからね」
「昔々、人の命が失われるような事故が常に起きていた頃は、『ああ! 彼らはスーパーヒーローだ。死亡事故はいつも起きる、でも彼は死を免れた』と思うようなモノだった。でも僕らは今、このスポーツがより安全になった時代にいる。でもその危険性は確かに存在しているし、それに遭遇する可能性は潜在的にあるんだ」
「人生の中では、ひとりの人間として、僕らは多くのことを当たり前だと考えている。誰もがそうだし、僕もそうだ」
「エンジニアと共に仕事をするのは、週末のほんの一部だ。僕らは通常のサイクルを経て、マシンに乗り込み、体力を使う。それはただ普通のことだ。でも僕がクラッシュし、怪我をしてしまうと、それは『なんてことだ!』と驚きと共に迎えられる。突然だから、それは衝撃的なんだ。でもマシンに乗り込む時には、僕の人生の残り時間は少ないかもしれないと、覚悟している」
忘れては行けないのかもしれない。モータースポーツは今も危険であり、ドライバーはそのリスクを背負って走っているのは今も昔も変わらないのだ。
30年という時間は長い。自分を含め、セナの時代を知らない若者のモータースポーツファンも増え、ドライバー側にもセナの時代を知らないドライバーが中堅どころの年齢を迎えている。けれども、周りを振り返ればセナの名前を付けられた子供たちがそこにはいる。伝説となったレーシングドライバーは今もこうして生きている……なんて言い方は少し誇張した言い方かもしれないが、そう思ってしまうのである。